昭和45年6月10日 朝の御理解
御理解第78節
神の機感にかのうた氏子がすくない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたす(尽くす)ことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。
人間と身代と達者とが三代続いたら家柄一筋となって、と、えー、私共の、まあ、願うてやまないところです、ね。まあ一般では、えー、親が一生懸命、えー、働いて身代を作る。二代目が楽をする。三代目は乞食をするというような、こりゃあ、御多分にもれない、いー、事実でありますね。
皆さんの周囲を見て御覧なさい。ね、お父さんはもうそれこそ、おー、まあ、一生懸命の働き手であった。よっぽど始末倹約してたくさんな金も作った、財産も作った、ね。まあおかげで、後から、あー、建てられる物は建てられるようにもなり、ね、それこそ旦那様にもなったけれどもです、ね、子供はその苦労というものを知らない。苦労したものじゃないから親の残された物を、それこそ水のように使う事を平気でやる。ね、だからその子供が楽をする。ね。そういう生き方でいっとりますから、いわゆる三代目には、いわゆる乞食をするというのです。ね。
「売る家を、売る家と(からようにかく三代に?)」なんてのがありますよね。もう親のおかげでいわゆる学問も身につける。いろんな常識も、おー、ちょっととい、を身に付けさせてもらう程しの、そういう風に儲けるんだけれども、いわゆる(からよう?)にかく、(からよう?)ってうのはいわゆる難しい字ということでしょうね。漢字で、売る家と書く。もうそれがね、普通一般なんですよ。
信心はね、そうではない。ね、親の徳を子供が継承し、しかもそれが子にも孫にも伝わっていく、御徳を受けていく、いわゆる一念まさり代まさりのおかげを受けていくと、もう私一代でおかげを受けりゃあ後はどうでもええという人はなかろう。信心がなかっても今のように子のために孫のためにと言うて残したものがかえって、子供が(乞食?)をしなければならないような結果を作っておるような、本当は(含むわけ?)が違う。うん。
親の代よりも子の代、子の代より孫の代と、ね、一年まさり代まさりのおかげを受ける事ができる。それが、えー、信心、お道の信心だと。そこで、えー、ならこの78節を、そこのところを言うておられるわけでございますが、そういうおかげ、ね、を頂くために、なら、神のおかげをまず知らない、神のおかげを知らなければ、ね、神のおかげを知らんから互い違いになってくる。信心して神の大恩を知らなければならん。その大恩を知れば無事達者で子孫も続くと仰るのですから、その神の大恩を知らなければならない。ね、そこんところを一つ、本当に、いー、身をもって、えー、神の大恩を分からせてもらう。ね、それを、ま、天地の大恩とも、おー、言われるわけです。
神の大恩でも天地の大恩でもね、お話を頂くと一応はね、なるほどと合点がいくんです、合点がいくんです。ね、ところがその、話を聞いただけでわかった大恩というのは、非常に、ま、薄っぺらなものです。その証拠にはね、その大恩に報いるという、報いるというね、(だ、そこ?)に、神の大恩を知れば、無事達者でとこう仰ることはね、神の大恩を知ったらね、その大恩に報いまつる生活という事がね、実際は成されなければおられない。いや、神の大恩に報いればね、どういう事になってくるかというとね、例えばこういう事になるのですよ。
これはあの、東京の銀座の教会に、湯川というお徳の高い先生がおられるそうです。私もお目にかかったことがありません。(?)、先生が、あー、お話になっておられます、うー、ものを読ませていただいて知ったんですけれども、おー、まあ、あー、大変御ひれいを頂いておられる、うー、大阪の玉水教会の出社なんですね。いわゆる東京のど真ん中で、ね、その、おー、その、いよいよ助かる事のための御用ができておる。終戦、そして、終戦、あー、戦時中ですね、それこそお教会がもう(灰?)にしてしまった。もう震災にあわれたわけです。その時にですね、湯川先生が、一生懸命に願われたことはどういう事であったかというとね、えー、東京都の復興という事であったそうですね。いわゆる東京がもとの東京に還るという事。焼け野原になってしまった東京が、どうでも元のような、あー、都市に還る事を、もうそれこそ、命がけで願われたという事でございます。ね。
私は思うのにね、神の大恩、神の大恩を知り、神の大恩が本当に分かったという人の姿というのはそれなんです。ね、神の大恩が分かって、ただ、あー、神様の、おー、おかげを、おー、知っただけではですね、ただ自分がおかげを頂いて、自分が復興する、自分の教会が復興する事だけに血道を歩むでしょう。
ところが先生の場合はもう、自分の教会の事なんか、もう、その、おー、いうならば眼中になかった。ただ東京との復興を一生懸命いろんな意味で願われた。ね、そしたら、あの、おー、(?)かどうか分かりませんけれども、見事な、いわゆる、うー、東京の銀座教会が、あー、まず復興した。その辺のところが、実にその、信心のまあデリケートなところですよねぇ。自分の事を願いおらんもん、いっちょん。人ん事、いや、その、東京都のことばっかり一生懸命願いおる、ところが、やはり、復興、一番に復興したのはお教会であり、それこそ、春秋の大祭ともなりますとですね、東京の真ん中で、とにかく米俵が何十俵というてその、お供えができる程しの、やはり、いー、闇でうごかすこともできないですよね、米を。それこそだから、えー、お米はね、必ずしも、おー、農家でなからなければならん、田舎でなからなければならんという事はない、東京の真ん中でもこんなに集まると言うて、話された事があるという事を聞いております。
ね、それこそ田園教会、それこそ、お百姓の真ん中にあるような教会であっても、そりゃあ大祭に、ならお米の十俵でもお供えができないちいうようなとこの教会もたくさんありますよ。だからおかげというものは本当にそういうようなもの、ね。それは神の大恩が分かれば分かるほど、自分の祈りの、願い、繁栄、世界の、お、おー、願う範囲というものは切になってくる。
おそらくまあ、あー、名実ともに現在日本一と言われる程しの御用を頂いておられる大阪の泉尾教会でもやっぱりそうです。もう先生の、うー、書かれた物、話された物を読んだり、いー、致しますと、もうとにかく口を開けば、ね、世界の難儀ということ。ね、世界氏子の総助けといったような事を盛んに使っとられます。もうそのことに命をかけておられます、一生懸命。ね、ところがそれこそ、おー、日本一と言われるような大きな御教会が建立されたり、たくさんな信者が助かっていっておる。
ね、神の大恩が分かれば分かるほどです、その神の大恩をです、一人でもの多くの人に伝えなければおかん、助かっておらなければおられないというようなものが生まれてくるはずです。神の大恩が分かれば。ね、だから、神の大恩を知、お話しを頂いて知ったというのではなくてね、神の大恩が分からなければいけんのです。ね。神の大恩が分からなければいけません。
私は今日思わせて頂きますんですけれども、うー、皆の御信者さん方が、あー、本当におかげを頂いて親先生のおかげで助かりました、親先生のおかげで私の一家が今日ありますと、本当に親先生のおかげで、親先生のおかげでというような信者が多いところは必ず御ひれいがたっておると言われております。ね、それはそこの親先生が徳の高い証拠ですから。親先生のお取次ぎによって助かりました、もう親先生の、一にも親先生、二にも親先生、親先生のおかげで助かりましたとこう言うのである。ね。
昨日、えー、善導寺の久保山さんたちが、子供、一家四人で、えー、万博に参りましてね、それから京都の御商売の事で、えー、ちょうど一週間でしたか、あ、十日ですかね、この頃、一日の月次祭の晩に出発しましたもんですから。して、昨日夕方帰ってまいりました。向こうの方に直接帰ってきましたから、あー、ここでお風呂でも沸かして、で、お食事も出して、それで帰りました。
それでまあ、その東京に弟さんが行っております。えー、去年開店しました、寿司屋を開店しました。んー、まあだからお母さんがあの、(現在ガタガタ?)、今あちらに親が行っておられます。それでだいたい京都までのはずのところであったけれども、まあ、あちらに電話かけたところが、まあそこまで来とって寄らんことがあるもんかと言うので、是非と言われて、まあ家族四人連れで東京まで参りましたわけです。
もうそれこそ、昨日、嫁の陽子さんが言うとりますが、もう本当に繁盛ちゃあこの事じゃろうとこう言う。とにかく朝の4時頃まで(?)。あれでどうして体が持てるじゃろうか、というほどしに、いうなら職、職人さんも小僧さんも、ほんと、やっとりましてね、だからまあ自家用車なんかもこの頃買わせて頂いて、その自家用車で東京見物に(?)させて頂いたと言うておりましたが、もう本当に繁盛のおかげを頂いておるという事がです、もうそのから朝から晩まで親先生、まあ稔さんの手紙を見ますと、んー、手紙便せん3枚の中に親先生どのくらいいうか分からん。親先生有り難うございます、親先生ありがとうございます。
ね、本当に親先生がなか、親先生のお取次ぎを頂かなかったら現在の久保山はなかった、いや、現在のこの東京のお店もなかったと思うほどしにおかげを頂いておるから、親先生有り難うございますになってくる。いつ親先生においで頂いて、えー、か分からんけれども、親先生においで頂いたときには、もうお店をそれこそ一日間お店を閉めさせていただいて、そして、まあ親先生に存分にお寿司も頂いていただこう、サービスもさせて頂こう、親先生がみえるならばどこでも今からそれを楽しみに計画したい。どこも見物して頂こうと言うて、もうあれ達夫婦がそのことばっかりを申しておりますと言うて、まあ聞かせて頂いて有り難い事、嬉しい事だなと思います。
それで私がもうその、本当に親先生のおかげで、いや親先生のおかげでと言えれるほどしの親先生にならせていただかなきゃならなんとということは思う。また親先生有り難、のおかげでという教会は必ず御ひれいがたっておるけれどもです、ん-なら親先生が亡くなったらどうするか。はあ親先生のおかげということは、もう御霊様だけにしかできないことなんです。だから、親先生のおかげでというおかげを頂いて、その親先生の御信心を通して、神の大恩が分かっとかなければ危ないという事です。ね、ですから結論するとやっぱり神様のおかげでと言えれるところまでいかなきゃいけんです。いわゆるそこまでいかずにですね、まあいうなら、確かにそうです。はあ神様のおかげで、神様のおかげでというとこの教会はですね、本当御ひれいがたっとらんです。それがもう親先生のおかげという事を抜きにして、なら神様、な、のおかげおかげ、そして本当に分かっとるかちいうと分かっとらん。だから今日私が言うのはね、本当に親先生のお取次ぎを頂いておかげを頂かなければならん。ね、頂くと同時に、その親先生の御信心を通して、天地の大恩を分かっとかなければならんという事です。
ね、ですから、本当は神様のおかげでおかげをいただ、頂きましてという信、本当の信者ができるという事はそういう信、信者ができる教会ならもういよいよ、揺るぎのない、私は、あー、信心と同時に、揺るぎのないお徳の備わった教会が、あー、そこにあるという風に思います。
親先生が亡くなられたら御ひれいが落ちていくという風なことではない。いわゆる年まさり代まさりのおかげが頂けれるお教会、のおかげのいただくことの為にもです、どうでも親先生のおかげを分からせると同時に、分からせる程しの御徳を受けることと同時にです、ね、親先生の信心を通して神の大恩を分かる、分からせておかねばならないということを私は思います。
昨日、うー、竹内、伊万里の竹内先生あたりが、あー、竹内先生がご夫婦で御礼に出てみえました。えー、本当に、いー、おかげを頂かなきゃならんと思いますね。えー、市長さん専用の車で、いわゆる市長さん、んー、の、車に、専用の運転手の、おー、運転する車に乗って、ご夫婦でお礼に出てみえております。もう本当に話を聞いておりますとね、なんと、いよいよ先生、世のお役に立たせて頂くという事がですね、本当にそのような形でできておるということは有り難い事だと。
先日も母がある教会の先生に話しております。本当に、まあ、あー、合楽の教会のことをよく知らない、いやむしろ、悪い、悪口だけぐらいしか聞いていないといったような先生に対して、もうとにかく一生懸命親先生のおかげで、親先生が(こう言うけどば?)という事を話して、自分が話してしもうてから、今度はあの、奥さんにですね、これから先あんたがちっとばかりお話しなさい、というてその、まあ、やはり、話しておりましたと、いわゆる親先生のおかげで、親先生のおかげで、親先生がこう言うていただいてこうおかげ頂いた、こういうお取次ぎを願ってこうおかげを頂いて、こういうおかげを頂いたんだということを話された。あんたんとこに私もいっぺん連れて参ってくださいというてその、まあ言うておられるという事だそうです。
ね、まあ、あー、おかげを頂いておられるという事は、初めて今年伊万里にですね、天皇陛下の、おー、召し上がるお米をね、伊万里から今度、おー、献上米が、でる、できるそうです。だから今年私も田植えを、あんー、田の中に入らにゃきゃあならんだろうというてから、昨日言うとられましたが、まあ、たと、例えばそういう事でもです、私が一生にならせていただいたとたんに、伊万里へのその、働きかけという、神様の働きかけというものがね、本当に恐れ入りますと言うておられる、ね。
これは、んー、昨日御礼に出てまいりましたが、吉井の森光っつぁんというて、こりゃあもう、古い事は、もう椛目時代からお参りをしてきておるご信者さんであります。ちょうど去年、一年前に、ね、んー、まあ事故が、お、おい、あえー、息子さんが事故を起こしましてね、その、おー、起こした、たいした怪我じゃないごとあったけれども、やっぱり一年間も入院しておられます。ので、その話のケリがなかなかつかんでおりましたが、先日その、中に立った、まあちょっとあんまりタチの良くない人が中に立ってですね、それこそ莫大な金の要求があったわけなんです。もうそれこそ震えあがらんばかりに家族もビックリ致しましてね、すぐお願いに出て参りました。それで、もう、こど、息子が申しまして、向こうが向こうならこっちもこっちで一つ、やっぱり、向こうがけんか腰ならこっちもけんか腰でやらにゃいけんだろうと、いうて申しますから、どういう風な手を打ったのが良いだろうかと言うて、えー、昨日、おととい、お願いに来まし、その事のお願いに来ました。
だから私が申しました。あのね、森光っつぁん、向こうが向こうじゃけんこっちもこっちっちゅうごたることじゃ絶対おかげにならんよっち、こりゃもうおかげ頂かにゃできることじゃなかって。うん。だからね、私がお願いをしとくけん、息子にそげなごつ、い、い、言う、もうほんなこつね、あんたが一人で今度の話し合いに行っても良いばってん、やっぱり息子が怒りおるばってんから、息子にその、そのー、ま、向こうがそんなつば立てとんならこっちもいっちょっちいうごたる風な事じゃなくてですね、本当にこちらの実状を話してね、そして、えー、もういっぺん頼んでみなさいっち、言うて私昨日、その時に、昨日、おととい、(?)になりますか、えー、お取次ぎさせていただきました。
で、昨日の夜に出てきておりますのにですね、もう先生、おかげっちゃあこういう事じゃろうかっち言う。参りましたらですね、参りましたらもう全然その言うておった人たちのですね、もう第一そのー、雰囲気が違うっち、行ったら。向こうがこう、まあこちらからも、頼みもする前に色々話が出、出ましてから、結局どういう事になったかというとですね、まあそれに保険があるわけですね。しかもまだ保険が下がってきてないわけなんです。だからその、下がってきた範囲内でお話しをしましょうという事になったんです。もう、どげん考えたっちゃ先生、ほんなこと思われん、息子はだからついてきましたばってん、それこそ力抜けたごたる風で、ね、その、いうほどしにおかげを頂きましたとこう言うんです。ね、これは、信心がなかったらどうだろう。本当にあそこんにきですね、向こうがけんか腰ならこっちもけんか腰というたら、本当にそういう、そういう働きになってこないですよね。たった一日のことで。ね、本当先生が言われるとおりにこっちが悪いのは悪いのだから、こちらから(地を?)低うして、ただ実状を聞いてもろうて、相談しようという話がです、一年もかかって、そのー、その辺りのお話もあっておりましたけれど、できなかったのが、そげなん風でおかげで解決のおかげを頂いて、解決というか、そういう事で話がまとまったとこういうのです。
これも、おー、ちょうど、うー、一週間ぐらい前ですかね、電話がかかってまいりましてね、熊本から。えー、もう年をとられてできられた子供さんですから、もうご夫婦はもう相当年ですけれども、息子さんはまだ二十歳。高校を卒業して、東京のどっかあちらの田舎の方の会社に就職して参りました。先生三日前にね、本当に、おかげを頂いております、上司からもかわいがられて、しとるから安心してくれというて電話が、あの手紙がきておりましたから、夫婦の者が安心しとりましたら、それから三日後にね、手紙が参りました。そしてですね、僕は結婚をするっちいうてから手紙がきた。もう夫婦でもうビックリしましてね、あれが嫁御、親、(義理なら親方嫁御まで?)大変苦労してありますから、あれの嫁御だきゃあ自分達、親の気持ちに副うた嫁御が貰いたいっち、もう夢にしとったのが、もうとにかく夢が崩れてしもうた。電話がかかってきました、そげんいうちから。
先生どうぞ、(いさお)っちいいます、いさおの心の上にお繰り合わせを下さい。今、まあだ二十歳ぐらいで結婚するのせんのっちいう段じゃあないと、どうぞお繰り合わせいただきますようにっち、電話で、お願いをしたら、すぐまた今度明くる日にですね、家内が取ってもう電話で二時間、お父さんお願いに言って下さい、この方は他の教会の総代さんをしとります。けれどもまあ困った問題なんかの時には必ずここにお願いに来るんですよ。とにかく、おとり、お届けに行きなさいって言うてその、あー、その翌日、お願いに参りました。ね、そん時にね、私があの、昨日皆さんに、昨日でしたか、聞いていただきましたあの、太陽の顔ですよね。私がある方のお取次ぎをさせていただきましたら、ね、次々とお気付けを頂いておる。どうしたこと、どげなん信心すりゃあおかげ頂くじゃろうかということに対してですたい、私が太陽の顔を頂きましたから、これは神の顔、ですから、まあ仏の顔も三度という例えがある話をさせて頂いた。ね、だからね、これを改まらなければ、これを、ここを自分の治していかなければということが分かっておってそこに取り組みもしとらんから、いわゆる仏の顔も三度、もう神様が、いよいよ、おー、その、もやもやしてきおりなさるけんお気付けがこうして続くとたいという話を、ま、そ、その話を頂いた後でしたから、その方にまでに話した、その話を。ね、だからその本人も、もう本当に親先生、そげんいただきますと、もう(そうで事じゃございません?)と、夫婦で話し合ってる事がある、ここを改まらんと、こうせにゃいかんという事は言いおりますけれども、取り組みもしておりません、改まっておりません、帰ったら家内と二人で話し合うて、そこんところ改まる事に本気、その事を改めて、お取次ぎを願うて帰られた。
そしたら昨日、おととい、こう、なんで、現金封筒、おー、入れてから、手紙でもまたお礼がきとるとですよ。それが、実はお礼にでらにゃならんのですけれどもね、今日から、昨日からその、御本部参拝をさせて頂く、ね、あちらの教会からも一緒に。それでまあ、う、う、帰ったらそれに出ますけれども、実はこのようなおかげを頂きましたというて今度はまた、それこそ手のひらをかやすようなおかげを頂いて、もうこんこんと、息子が詫びを言うてきた手紙がここに入ってるんです。
ね、だから私は思うんです。ね、今の森光さんの話にしろ、この方は菊池さんっち言いますが、菊池さんの話にしろです、ね、いわゆる神のおかげがわかるわけですね。神のおかげを知らんから、本当に神のおかげと思わずにはおられないのです。それもね、先生のお取次ぎを頂いたらおかげを頂いたというのではなくて、先生のお取次ぎを頂いて信心を分からせていただいたのです。そうでしょうが。お取次ぎを頂いて信心を分からせて。ね、けんか腰で行ったっちゃあおかげにならんよと自分の心の内を改めて、ね、詫びるつもりで行きなさいという、そこんところにね、いわゆるおかげを受けておる。もう先生のお取次ぎという、お取次ぎというのはおかげを取次いでもらったのじゃない、信心を取次いでもらった。ね、自分の心の状態が変わらせていただいたらおかげを受けた。
もう菊池さんの息子の場合でも同じ事。ね、ほんに、仏の顔も三度というその、太陽の顔の御理解をすりゃあ、私のための御理解のような御理解として頂いて帰った。夫婦の者が本気で改まらなければ一人にかけとる息子の、にかけとる願いがね、もう、崩れてしまう。そこで本気で夫婦が改まる事にならせて頂いたらです、息子からまた手のひらをかやすような手紙が参りまして、こ、こうこう、このようなおかげを頂いたというております。
ね、そこで私は今日はね、思わせていただきますのは、先生のおかげを、お取次ぎのおかげで助かったという事になってくるとです、ね、いうなら、本当に親先生あって私は、親先生あって私の家だと、なるほど有り難い。ね、親先生の信心によっておかげを受けたんですから、やはり。けれども、親先生の信心を頂いて、おかげを受けたという事になるとです、親先生のおかげもさることながら、ね、神様という方はね、私共が改まる事、私共の生き方が変わる事、思い方が変わる事、ね、そこに、このようなおかげの頂けれる神様だと分からせて頂くから、私は、神の大恩が分かってくると思う。
ね、だから、親先生のお取次ぎでおかげを頂くという事ではなくて、もうそれも、ね、家庭、ぬ、においては、素晴らしい。だから合楽の信奉者の全部が本当に親先生のおかげで、親先生のおかげでと皆さんが言うようになられたら、合楽の教会はたいへんな御ひれいを頂くことでしょう。けれどもそれは、親先生がもし亡くなったらお終いになるような感じなんです。そこで親先生の信心を通してね、分からせて頂く御教えであり、信心であり、ね、私が、か、このように改まり、このように信心が、あー、成長させていただいたら、それにしたがって神様のおかげが受けられるということを分からせて頂くような信心こそ、神の大恩が分かるんだという事なのです。ね。
そこにね、私は子孫も続き、身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受ける事ができるぞと仰るのは、ね、親先生の御徳で助かったというのではなくてです、親先生の信心を頂いて、私共が助かる道を開かせていただくという事。
★昨日の朝の御理解をここで皆さんに聞いてもらいます。その瞬間です、そのちょっと寸前に頂きましたことがね、んー、ここに道ありということを頂きました。ここに道ありと。この頃私は、さらに伝えようと思って、と、その事を伝えなかったけれども、昨日の御理解なんかはね、おかげのき、決め手は、もう昨日までの御理解にいっぱいつまってるちゅうことです。おかげはま、ここにあるんだということ。これは、ここに道があるという事も、ここに天地につながる道、おかげの頂けれる道はあ、もう、ゆ、昨日までの御理解に含まれているというわけなんです。けれども、今日とても、やはり、それがいえんことはないと思うです。ね子孫繁盛の、おかげを頂かれる道、それは、神の大恩を私共が身をもってです、体験させてもらう事、それはね、ただお取次ぎを頂いて神様をね、お、先生にお願いして頂いておかげを頂いたじゃなくてです、ね、お願いをしていただくと同時に、御教えを頂いてその御教えが自分のものにならせて頂いて、おかげを頂いたという事になる時に、神の大恩が分かるという事。いわゆる、家繁盛子孫繁盛、いわゆる年まさり代まさりのおかげを頂けれる道は、ね、ここに道ありということが言えるのじゃあないでしょうかね。
もうひとつ、うー、この78節の、一番大事なとこ、神のおかげを知らんから互い違いになってくると。ね、だから神のおかげをしっかりわからにゃいかん。いただ、おかげをやはりいただかなきゃならん、どうでも。ね。そこから信心が分かり、信心を頂いて神の大恩がいよいよ実感的に分かってくると、その神の大恩がわかってくると、私共がどういう事、それこそ世のお役にたたなければ相済まん。天地の大恩に報いるのは、これ他、より他にはない。
ね、世のお役に立ちたい、世のお役に立たせてくださいという祈りが、願いがです、いつも自分の心の中に頂けてくる。だから、自分の事なんか問題じゃないほどしにです、ね、いわば東京都の復興を湯川先生が願われたという、ね、世界人類の総助かりのことをね、例えば願って願ってやまん。そのために自分は、例えばですね、んー、どういう死に方してもよい、今死んでも良いと言うておられますですね、三宅先生は。というほどしの一生懸命、神の大恩が分かられれば分かられるほどそのような事になってくるのじゃないでしょうか。
だから私共の祈りの内容というものを見てです、ただ、そ、いわゆるマイホーム的な、私のとこだけおかげいただけばといったのじゃなくて、自分がどのくらい、自分以外の人たちのことが、真剣に祈れておるかということになってくる時にです、自分の、神の大恩が分かってきおる事が、私は分かります。ね。
神の大恩が分かり、本当に、誰も知らん、けれども、それが自分以外のことのために一生懸命を祈らせていただくという事はね、ちょうど例えば私が、なら奉仕着の下に白のシャツをいつも着てますもんね。これ、これだけはしかしもう毎日替えます。もう冬でも毎日替えますようにですね、もう自分が下着に、スキッとさっぱりしたのを着ときゃ気持ちがいいでしょうが。目には見えなくても。ね、上にはどげな良か着物ば着とったっちゃ、中に汚れたごたっと着とんなら自分も気持ちが良くないです。そんな人がありますよ。ね、こりゃ誰も知りません。下がそういう清らかないうならば、白いシャツを着とるか分かりません。ただ、チラチラと覗くだけ。それが素晴らしいのです。ね、黒衣の下に白い、チラッと覗くのは、非常に清潔な感じでいいでしょうが。だけでは(人に感じさせるんじゃ?)ない、自分自身が気持ちがいいんです。ね、人のことが一生懸命に、誰も知らんけれどもね、自分の周辺の人達の事を一生懸命、願えれるような信心を頂くという事は、ちょうど下着に、ね、さっぱりした下着を着るような味わいの物だと私は思います。
ね、そういうおかげをね、皆さん頂いてくださって、一つ、年まさり、いや、しん、うー、一年まさり代まさりのおかげを頂けれるもと、ね、世の中では、ね、親が、一生懸命働いたら、ね、子が楽をする。ね、孫は(ことじき?)をするというようなのがね、ま、普通の、もう、いわゆる栄枯盛衰は世の習いである。だけれども、金光様の御信心はそうじゃあない、そうであってはならない。
ね、教祖が仰いますように、なるほど日勝り月まさり、年まさり代まさり、親の代よりも子の代というように、繁盛しておかげを頂かせて頂く。なら、金光様の信心をすんなら誰でもがそういただけるかといったら、決してそうじゃあない。
今日の私はここでいうところの、神の大恩が分かっての信心にならせていただく時にです、これはいついつまでもその信心の徳というものは残るでしょう。その信心の徳が、子供よりも孫の代というように繁盛していく、いわば現在、今の教団にみるような御ひれいがですね、えー、いただけてくる事と私は信じております。
その為にはまず親先生のおかげを分かると同時に、親先生のおかげの、いわば信心を通して、私もその信心を頂くというところからね、私は神の大恩は分かってくるもんだという風に思います。
どうぞ。